saitou_ken_monogatari
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ている日米関係は、まったく違う〉アメリカは、常にソ連の動向を見ながら日本との関係を考えてきた。日本をどうするかということではない。つまり、ソ連が存在したからこそ日米関係は安定していたのである。その本質に気づかされた斎藤は、不安を感じた。〈これからの日米関係は、なかなか大変なことになりそうだ〉また、多くの友人もできた。のちにコスタリカの大統領になるホセ・フィゲレス・マリアーノなど、世界各国に友人もできた。これは、近い将来、斎藤の貴重な財産になってゆくだろう。ハーバード大学ケネディ行政大学院で修士号を取得した斎藤は、留学2年目を首都ワシントンで、多くの外交官、政治家などと交友関係を広げることで費やし、平成4年5月、留学生活を終えて帰国した。平成6年、通商政策局米州課課長補佐となった斎藤は、本格的に日米交渉に携わり、自動車交渉を担当した。8・「日米自動車交渉を担当」15さいとう健けん物語答弁中の一コマ

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