saitou_ken_monogatari
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早稲田実業中学校から東京教育大学付属駒場高等学校に進んだ斎藤は、相対性理論の提唱者として有名な物理学者アインシュタインなどの本を読み、理科系に興味を持つようになった。〈将来は、世のため、人のためになるような理科系の仕事をやりたい……〉いろいろと考えた末、目標を定めた。〈世のため、人のために地震予知をやろう〉地震が予知できれば、多くの人が地震で死ななくてすむ。そのためにも、地球物理学というものをしっかりやれる大学に進もうと決めた。この当時、国立大学は一期校と二期校に分かれていた。3月初め、一期校がいっせいに入試をおこない、中旬に合格発表。そして、下旬に二期校の試験がおこなわれる。つまり、受験のチャンスは、2回あった。ただし、地球物理学を教える大学は少なかった。そこで、斎藤は、一期校では、東京大学理科Ⅰ類、二期校では、静岡大学を志望した。昭和53年3月、斎藤は、東大理科Ⅰ類の入試にのぞんだ。その結果、みごとに現役で合格した。東大に入学した斎藤は、入学式の翌日、体育会のハンドボール部に入部した。ハンドボールは、4このシュートは入りました

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