saitou_ken_monogatari
8/30

を聞かせてほしい」部員たちは、異口同音に言った。「それは、強くなりたい」言質をとった斎藤は、みんなと相談し、次々と練習方法を変えていった。たとえば、それまで週4日だった練習を週6日にし、休みは月曜日だけにした。また、冬場は、相手に当たり負けしないよう筋力トレーニングを強化した。さらに、実戦を重視し、他校との練習試合の数を増やした。その結果、東大ハンドボール部は、めきめきと力をつけていった。斎藤が入部したとき、四部に降格した関東学生リーグでは、二部に昇格した。最終的には二部で準優勝し、日大や日体大など強豪校がひしめく一部との入れ替え戦にまで出場するという戦績を残した。また、旧帝大の東京大学、京都大学、東北大学、九州大学、北海道大学、大阪大学、名古屋大学の七大学の定期対抗戦、いわゆる「七帝戦」も、斎藤が1年生のときは全敗を喫し、最下位であったが、4年生のときには、みごとに優勝をはたした。斎藤は、3年生の夏から1年半、キャプテンをつとめた。卒業時には、キャプテンとして主力選手であったこともあり、実業団からも誘いを受けるほどであった。斎藤は、ハンドボールを通してさまざまなことを学んだ。たとえば、勝負事には、強いから勝つ、弱いから負けるという単純な物差しで計れない何かが潜んでいる。試合でもっとも怖いのは、油断だ。強い相手には、がむしゃらに向かっていくだけなの4・「ハンドボール部のキャプテン」6

元のページ 

page 8

※このページを正しく表示するにはFlashPlayer10.2以上が必要です